コンサルタントは「戦友」だ——好奇心だけを羅針盤に歩んだキャリアの果てに見つけたCSOという役割 ― 塚本 貴映

クオンティアCSOの塚本貴映は、カナダ留学・医療機器メーカー・ブティック系コンサルティングファーム・エンタメDX・外資製薬と「やりたいことをやり続けた」結果、コンサルタントという天職と、経営という役割にたどり着いた。「コンサルタントって戦友とか軍師みたいなもの」——その言葉に込めた意味を問う。
「ルールを疑うことが反抗」と言われた場所から飛び出して——佐賀からカナダへ、問い続けた10代
佐賀で育った塚本には、幼いころから拭えない違和感があった。家庭では祖母が開いていた幼児教室の影響もあり、モンテッソーリ的な教育観「なぜそう思うのか、本当にそうなのかと問われる対話」が日常だった。ところが学校では、ルールを疑う行為はクリティカルシンキングではなく「反抗」として扱われた。そうした会話がなされる家庭と学校とのギャップに、塚本は生きづらさを感じていたという。
そんな違和感を持ちながら育った塚本が中学2年になった頃、人生観を根底から揺さぶる出来事が起きる。2000年、西鉄高速バス乗っ取り事件で祖母が犠牲になったのだ。家族も、そして自分自身も落ち着かない状況は結果として10年近く続いたが、特に事件直後から数年は家族が悲惨な状態となった。そんな中、高校進学を前に「全日には進学したくない」という自分の気持ちを親に伝えられないまま時は流れ、進学校に入学した。しかし、その気持ちは徐々に抑えられなくなり、高校入学後半年で爆発した。
「人生の一番大切な時期を、教科書を読み続け、記憶することに費やしてしまっている。10代は一度しかない。今しか出来ない体験を積み、今しか取れないリスクを取るべきだ」。その痛切な覚悟が、単位制通信校への編入という決断を後押しした。叔父(東南アジアで活動する報道カメラマン)にバックパッカーとして同行し、インドネシアやマレーシアを渡り歩いた体験もこの時期だ。異文化の中で感じた言語の壁、異文化を理解するために無宗教ながらも真剣にラマダンにも参加した。だからこそ体感で理解できたコミュニティの結束——そこで芽生えたのは「学ぶとはどういうことか」という純粋な問いと探求心だった。
単位制通信校で2年分の単位を1年で取り終えた塚本は、高校3年生の1年間を事実上フリーに使えた。その時間をどう使うか考えていたところ、親から語学留学を勧められた。塚本も乗り気で、行くならカナダだと決めた。軽い語学留学で考えていたこの時の決断は、結果として9年となり、大学、就職もカナダとなった。カナダでは、記憶力に頼るだけの教育環境ではなく、「なぜそうなのか」「本当にそうか?」を問われるものだった。この時の大学での深い学びが、今のコンサルタントとしてのバックボーンになっていると塚本は振り返る。
しかし、渡航した当初はそんな長期滞在を視野に入れていたわけではない。カナダの語学学校に入り、3ヶ月。語学力についても手応えを感じ始めていた頃だった。コミュニケーションにおいてもしっかりと主張できるようになり、日本にこのまま帰国することが「もったいない」と感じるようになっていた。「どうせ大学に行って同じことを学ぶなら、このままカナダで大学に行く方が自分への挑戦になるのではないか」。その想いが、確信に変わったことで、カナダへの大学進学を決めた。
カナダの大学では専攻は3年に進学するタイミングで決める。その制度も塚本には非常にあっていた。もともと「これ一個」と最初絞れるものもなく、また絞れるタイプではない自身の性格も相まって、興味のあるものは何でも学べる環境は塚本にとって最適だった。社会経済、歴史、数学——さまざまな科目を縦横無尽に履修する中で気づいたのは、自分の学びへの渇望だった。日本の学生が勉強に明け暮れる高校時代を遊び倒した塚本だったが、そのころの時間を取り返すように、1日10時間以上毎日勉強した。一個に決められないという自分の性質を欠点ではなく特徴として受け入れ始めたのは、まさにこのカナダ留学の時期だった。
「ビジネスモデルをお客さん以上に理解せよ」——コンサルタントという天職との出会いと、現場で積んだ実行力
帰国後、歯科医療機器メーカーでのプロジェクトマネジメント、コーチングを商材にした組織活性コンサルティング会社での営業を経て、塚本はあるブティック系コンサルティングファームの代表と出会う。代表が叩き込んだのは「コンサルタントはクライアントのビジネスモデルをクライアント以上に理解しろ」という哲学だった。「感情論や人の感情に左右されず、理詰めで仕事ができる」。そのあり方が、自分の志向性と強く合っていることに塚本は初めて気づいた。
三徹してもなお答えが出ない夜、頑張った過程は評価されないという重さを骨の髄まで感じながら、それでもコンサルタントという仕事が楽しかったと塚本は言う。この時期の案件の中でも特に印象深いのが、大手物流会社の新規事業開発支援だ。全国の現場を飛び回るセールスドライバーたちは、顧客と深い信頼関係を築く中でさまざまなビジネスニーズを掴んでいる。そのニーズを事業シードとして吸い上げ、各ドライバーの伴走役として事業化を支援するというプロジェクトだった。塚本は上は北海道から下は四国まで担当し、選定された事業シードを持つドライバーたちに個別で伴走した。プロジェクト終盤、他の案件との兼ね合いで離脱することになった際、担当していた事業所の担当者やリーダーから個別に連絡が届いた。「塚本さんの伴走をやめてほしくない」。その声はクライアント企業の本社にまで届き、個別での継続サポートを求める依頼が会社としても来た。コンサルティング会社に懐疑的な人たちの中にもちゃんと入り込めていた、とコンサルタントとして最も嬉しかった瞬間のひとつだという。
一方、コンサルタントとしての手応えを感じると同時に、塚本の中にもうひとつの欲求が育っていた。構想を描くだけでなく、要件定義からローンチまで自分の手でやりきりたい。その思いを形にできる場所として選んだのが、エンタメ特化のブティック開発会社への転職だった。大手プレイガイドの一社が出資するこの会社で、塚本はエンタメDXの最前線に触れる。コンサートやフェスに訪れるエンドユーザー向けのアプリやモバイルオーダーの開発を行う同社で、設計・調達・ローンチまでの全工程を経験した。
集大成となったのが、ある大規模興行施設のモバイルオーダーシステムをローンチしたプロジェクトだ。その範囲はフェスアプリやモバイルオーダーといったエンドユーザーが注文するアプリにとどまらない。物販を提供する事業者側のワークフロー等を含む業務から精算システム、さらにはゲートシステムまで——会場運営の川上から川下まで一括で設計・開発・ローンチをたった4ヶ月でやりきるというものだった。「この規模・この納期でできる会社は他になかったんじゃないか・・・」そう思えるほど、エンドユーザーの体験に必要な業務からオペレーションの全ての設計に関わることのできる案件だった。この会社の案件に数多く携わる中で、塚本はユーザ中心設計での要件定義、効率的な機能定義、そして本物のアジャイル開発から実装、そして改善まで本当に「使いやすいデザインを試行していくアプローチ」を実体験として身につけた。
精力的にプロジェクトに取り組んでいた塚本だったが、ある時、副業として関わっていたコンサルティングファーム経由で、大手外資系製薬メーカーの案件に携わることになったことをきっかけに再び転職機会を迎えることとなる。
コロナ禍を経て、物理拠点がなくても営業できることが証明された製薬業界では、固定費削減のため各社がオフィスの統廃合を進めていた。このプロジェクトの製薬メーカーも同様で、日本全国に散らばる何十拠点という営業所や支社を「次世代の働き方を踏まえ、再編する」というプロジェクトを動かそうとしていた。ただし「ハイブリッド型で行く」以外は何も決まっていない状態だった。
プロジェクト設計からベンダー選定、予算策定、グローバル本社承認・調達まで——ファシリティマネジメントという未経験の領域で、塚本はこの全工程を担った。ベンダーが試算を出せない分は自分で全国数十拠点分のシミュレーションを組み、予算額・スケジュールともにアグレッシブではあるもののそれを完遂させた。「絶対に無理。超過することは想定しているから、無理しなくていい」と、発注者側から言われるなか、自身が設定したアグレッシブな計画を完遂できたことは、プロジェクトマネジメントの集大成だったと塚本自身が振り返る案件だ(もちろん、これにはクライアント側のカウンターパート、そしてチーム全体の協力と尽力がなくては達成できないことは付記しておく)。
このプロジェクトのなかで、クライアント企業の経営陣・役員ほぼ全員と相対したことで、この会社自体の素晴らしさ、そして「この人たちと一緒に働いてみたい」という気持ちが自然に生まれていった、と塚本は言う。元々、大学でヘルスケアを専攻していた塚本にとって、製薬会社の事業モデルは興味のある領域でもあった。そしてプロジェクト完遂後、塚本はこの企業に正社員として入社することとなる。
ビジョンへの共鳴と、代表との対話——クオンティアを選んだ理由

製薬メーカーでは新陳代謝領域のマーケティング本部に配属された。そこで2027年のローンチを目指す未承認の生活習慣病領域治療薬の上市戦略担当マネージャーとして、プレローンチの市場形成活動を担うこととなった。
製薬は未経験だったが、塚本がまず取り組んだのは担当疾病の複雑な定義を社内全体で理解できるように整理することだった。特定数値による疾病の定義、診断される条件、日本初となる条件付き保険適用の仕組み——グローバルの定義と日本独自の制度が入り組む中で、チーム全体が同じ地図を持てるよう整理し、どのセグメントから攻めるべきかの方向性をまとめた。その後、新陳代謝領域全体の市場形成リードとして異動し、そのなかでも注力領域となっていた某特定疾病の市場形成戦略やプロジェクトをマネジメントするポジションを担った。
塚本があらためて自分のキャリアを振り返っていたのは、その頃だった。医療機器、エンタメ、製薬——異なる業界の事業会社を内側から経験したことで、塚本の中にひとつの確信が育っていた。コンサルタントという仕事は自分と相性が良い。感情論や社内力学に左右されず、何が正しいかという軸だけで動ける。そして複数の業界を現場レベルで知っているからこそ、どんな業界のプロジェクトでも内情を加味しながら泥臭く推進できる。事業会社での経験が、コンサルタントとしての武器に変わる予感があった。そして転職か起業かを悩んでいたある日、ふと目にしたクオンティアからのスカウトメール。何気なくコーポレートサイトを覗いていた。当時のクオンティアのサイトには武将の絵が描かれており、コンサルティングファームらしからぬそのビジュアルに、思わず思い出した。「戦略コンサルタントは軍師のようなもの」と、初期に在籍していたファームで言われた言葉を。
クオンティアの面談で代表の吉沢が語ったのは、コンサルティングを目的ではなく手段として捉える構想だった。コンサルティングは「事業を創るための手段」であり、クオンティア自体も経営を多角化し事業開発していきたい、と。日本の社会をよりよくする事業を生み出し、その事業を推進できる強い経営者をクオンティアから輩出したいのだ、と。コンサルタントを通じて人を育て、事業を作る。かつて在籍したブティック系コンサルティングファームの代表のビジョンとも重なった。そして、「あれからコンサルタントとしても経験を積み、様々な事業会社の内面も理解した自分が加わったらどうなるだろう」と、心が躍った。
「この規模の会社は、社長と合うか合わないかで決まる」——吉沢との面談を経て、塚本はクオンティアへの入社を決断する
クオンティアで共に働く
クオンティアの採用情報を見る →CSOとして現場に立ち続ける理由——「自分の戦略に自分で苦しむ」ことが、組織への最大の貢献になる
吉沢のビジョンに賛同した塚本は入社時に明確な意思を伝えていた。「プロジェクトデリバリーだけをやるなら個人コンサルタントとして成果と報酬を追いかけた方が良い。自分がクオンティアに入る意味は、コンサルタントとして取り組みつつ、IPOに向けて経営企画や組織づくりに内側から携わることにある」と。その意思がそのままCSO就任という形に結実した。担う範囲は経営企画・事業開発・広報マーケの機能に加え、戦略セクターのコンサルタント兼務という広域なものだ。コンサルタント兼務の負荷は高いが、塚本はむしろその兼務に積極的な意味を見出している。
現場のプロジェクトに自ら入り続けるのは、戦略を描いた人間が自らその重さを引き受けるためだ。「自分もやりながら自分の戦略に苦しむことが大事」——クライアントに一気通貫で伴走するとはどういうことか。営業・提案・実行のすべてを自分で経験し、経営とデリバリーの両方を行き来することで、自分の発言に自分で実感を持ちたい。これはCSOとして机上の戦略家にならないための、塚本なりの設計思想だ。
CSOとして塚本が管轄する経営企画・事業開発・広報マーケの3機能。経営とデリバリーの両方を担いつつ、広報マーケでは自分がインタビュアーとして取材に立つこともある。事業開発では、クオンティアが外部企業と共に新たな事業を生み出す「事業共創」の機能を担い、コンサルティング事業とはまた異なる形で社会に価値を届けようとしている。
そうした動き方は、塚本のこれまでのキャリアで貫いてきたスタイルとそのまま重なる。医療機器メーカー・コンサルティング会社・エンタメDX・外資製薬と異なる業界を渡り歩いてきたのも、やりたいことを探していたというより、興味の赴くままに全力で飛び込んできた結果だ。「いろんなことを同じ熱量で同時に走らせるのが好き」——その性質にコンサルタントという仕事が一番フィットしていたのであり、CSOとして経営・現場・事業創造を同時に回す今の形もその延長にある。
吉沢が描くのは、IPOを手段として日本社会に新しい事業を生み出し、その過程で経営者を育て輩出していくというビジョンだ。そのビジョンを塚本はCSOとして実現しようとしている。コンサル事業・事業共創・経営企画の三輪を回しながら、上場を3年で実現することが今の目標だ。
「知識の民主化」が完了した先で——コンサルタントに残る価値と、クオンティアが選ばれ続ける理由

AIの普及がコンサルティング業界の構造を変えつつある。分析・資料化・情報収集がコモディティ化しつつある一方で、AIが普及するからこそ「何を決めるか」という判断の難易度は逆に上がる、このことは業界でも広く語られるようになった。塚本もその見立てに同意する。情報が増えるほど意思決定は複雑になるからだ。
日本の大企業では、重要な意思決定を担える人材が経営層に辿り着く頃には50〜60代になっている。意思決定の速度要求が上がるほど、この構造的問題は深刻化する。「若くして経営視点と実行力を持つ人間がいかに希少か、10年後に(もしくはもっと早くに!)より鮮明になるのではないか」。だからこそクオンティアは、コンサルティング事業を通じて経営人材を輩出することと、自ら事業を創造することをセットで追いかけている。人を育て、事業を作る。その両輪を回せる組織であることが、これからのクオンティアの存在意義だと塚本は考えている。
クライアントへの価値についても、塚本は明快だ。入社のきっかけとなったあの武将の絵は、あながち偶然ではなかったのかもしれない。「コンサルタントって戦友とか軍師みたいなもの。局地局地を切り抜けて、一緒に戦いに勝っていく」——そういう存在でありたいという感覚を持っているのは、塚本がコンサルタントという仕事に向き合い続けてきた結果である。
経営や事業戦略に、AIも出てくる時代になった。しかし、旗を振る人間は孤独だ。壁にぶつかったとき、社内に仲間がいないとき、そういう局面で必要なのはアドバイザーではなく、一緒に現場で動いてくれる存在だと塚本は言う。自分たちの未来を本気で考え、実際に動かしてくれる人間を求めているクライアントに、クオンティアは実行まで本気で伴走する——それが塚本の答えだ。
キャリアを通してただ、好奇心の赴くままに飛び込み続けた先で、自分がどういう人間かがようやくわかった。いろんなことを同じ熱量で同時に走らせたい。答えを出したら現場で試したい。そのスタイルに一番フィットしたのが、コンサルタントという仕事だった。戦略を描き、現場で戦い、人を育て、事業を作る——塚本貴映というコンサルタントの物語は、まだ続いている。
AIが普及する時代に、コンサルタントはどんな価値を発揮できるのか。クオンティアが実践する「AIヒアリング×組織再編オファリング」の設計思想と、戦略実行まで担う経営企画パートナーとしてのあり方は、こちらの記事で詳しく解説しています。
▶ AI×コンサルティングで企業課題の解決はどう変わるか②――AIヒアリング×組織再編オファリングの設計思想と、戦略実行まで担う経営企画パートナー